「江戸紫」

 紫染めは万葉集にも見えるが、紫根を使って染色するのが難しく、高貴な色で、庶民には手が届かなかった。八代将軍吉宗が浦上弥五左衛門に命じ、延喜式の染め方を調べ、弥五左衛門は後藤縫殿助に命じ、吹上園中に染殿を設け種々の色を出させ、染が画期的な隆昌を極め、その一環として紫染めも流行り江戸名物になる。粋な助六も江戸紫の鉢巻をしめているのが思い浮かぶ。