「初期の江戸・町割り」

 江戸は平安時代末期に江戸重継が本拠地とし、1457年には太田道灌が江戸城を築いた。1590年に徳川家康が拠点を構えて大都市に発展した。日比谷あたりは江戸城そばの入り江であった。家康はその日比谷入り江に流れていた平川の流れを付け替えた。道三掘りを開削し江戸城への物資搬入路を確保し、小名木川を開削し千葉市川で作られる塩を江戸に運んだ。道三掘りの両側に定期市の四日市町、遊女の集まる柳町、船町・材木町(後に移転)、続いて大橋(後の常盤橋)から浅草方面の本町通沿いの町割りが出来る。家康が征夷大将軍になったあと神田山という台地が切り崩されその土で日比谷入り江が埋め立てられた。その結果通町筋の町割りが出来た。