「江戸城」

 江戸城に天守が存在したのは50年くらいである。地下1階地上5階であった。家光の時にたてた3代目は石垣の高さ13.8メートル、天守本体が44.8メートルで姫路城の1.2倍の高さであった。この天守も明暦3年の大火によって焼け落ちた。しかし将軍補佐役保科正之によって無用の長物と判断され以後天守は建てられなくなった。新井白石は再興しようとしたが白石の失脚で実現しなかった。現在本丸跡は広い敷地に建物が建てられず残されている。