「富くじ・勧進相撲」

 江戸時代、富くじは寺社の建築維持修復のため行われた。谷中神応寺、目黒不動、湯島天神が江戸3富と言われておる。その他回向院、浅草寺、芝神明、根津権現などでも行われた。文政年間には毎月定日に興業を行っていたのは3富と回向院・浅草寺であった。根津神社や芝神明では最高賞が300両と最も高かった。
 相撲は当初後援者の名前を谷町というように上方で盛んだったが、徐々に江戸が中心になっていった。勧進相撲は木戸銭を集めることに目的がかわり最初は深川富岡八幡宮、替わって東両国回向院で興行され毎年夏冬2回、晴天10日間の催しであった。
 回向院には鼠小僧次郎吉の墓もある。