「神田神社と日枝神社」

 江戸幕府は江戸城の鬼門・丑寅にある神田神社、裏鬼門・未申の方向にある日枝神社に江戸城を陰陽道的に守らせている。天台宗の僧侶天海が徳川家康に認められ工夫した。比叡山の麓にある日枝大社を江戸に勧請した。天台宗の僧侶で寛永寺の住職の天海が陰陽道を駆使するとは日本の仏教は本当に融通無碍である。江戸時代二つの神社のお祭りが2年に一度交代で江戸城に入れた。浅草寺も幕府の祈願所にした。こうして神田神社の神田祭り、日枝神社の山王まつり、浅草寺の三社祭りが江戸三大祭りになっている。このように祭りは江戸城の鬼門・裏鬼門を防ぐ意味がある。