「大山街道」

 江戸時代、相模国大山にある大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称で複数ある。矢倉沢往還が大山街道の代表であり、赤坂 - 青山 - 渋谷 - 三軒茶屋 - 二子の渡し(多摩川) - 溝口(神奈川県川崎市) - 荏田(横浜市) - 長津田 -(大和市) - 国分(海老名市) - 厚木の渡し(相模川) - 厚木(以降、厚木市) - 愛甲 - 下糟屋 - 上粕屋 - 石倉 - 田村通り大山道を経て大山へいたる。大山道沿道や相模川の渡船場などでは、宿場として栄える所もあった。大山からの帰路には江ノ島、鎌倉などの観光も行われるなどし、大山参詣は一種のレジャーでもあった。古典落語の「大山詣り」もそうした背景から成立したものと考えられている。大山には海上から船旅を通じての参詣もあり、これらの移動手段を含めると「大山道」の多種多様ぶりが一層際立つとされる。また、富士講による富士山への参詣者も同じ道筋を通ったことから、一部の道には「ふじ大山道」という名称も見られた。富士山への参詣者も必ず大山にも参詣するのが通例となっていたという。江戸庶民の息抜きの一つであった。