「皇 居」

 江戸城のあったところに明治維新により天皇が明治以降、居を構える。本丸・二の丸・三の丸が東御苑として一般に開放され天守閣跡、忠臣蔵で有名な松の廊下跡もある。天守閣は何度かたて直されたが、16世紀半ばから結局財政事情から再建されなかった。扇谷上杉氏の家臣太田道灌が最初に千代田城を築き徳川家康が江戸を繁栄させた。当初江戸城近くには海岸があり、日比谷あたりは日比谷濠などともいわれ湿地帯であった。堀をほり土地をつくったため江戸も川の多い町である。大阪と違って武家・町人など家康の政策で集められ街が造られ、八百八町といわれている。橋も大阪よりは多いが江戸は公議橋が多く、大阪は町民が作っていたので江戸八百八町に対し大坂八百八橋と言われている。
 桜田門の近くに警察庁・警視庁があり、警察の暗語になっているが、ここの門外で大老井伊直弼が殺された。最近の知見では、井伊直弼は鉄砲でやられたため武術の達人にもかかわらず身動きできなかったと言われている。