「旧岩崎庭園」

 東京駅丸の内から北に向かって歩くと日本橋川にいきあたり、川にそって歩くと途中江戸時代の船着き場や石垣が残っていた。この辺りは江戸時代周りが大名屋敷であった。さらに北に向かうと神田、秋葉原、御徒町と進んでいく。神田は古くから書店街、古本街である。上野、不忍の池の南部を西に向かって歩くと台東区にある三菱の3代目岩崎久彌(岩崎久彌の父彌太郎は三菱財閥の創始者である。)がジョサイア・コンドルに建築依頼した重要文化財西洋木造建築があった。その建物のとなりに撞球場があり、地下でつながっていた。さらに壁には金唐革紙が張られてあったり、橋本雅邦の絵がかかっていたり、大名庭園の名残もあったり見所が結構あった。岩崎庭園の北側には無縁坂があり、登ると東大医学部の鉄門があった。
 この辺りから南側に降りていくと東京医科歯科大学、順天堂医院があり、お茶の水駅に達する。御茶ノ水駅から南には楽器街があり、さらに南に進むとスポーツショップ店が集まっていた。かなり規模の大きい専門街に感心した。