「鏡と眼」

 アマテラスもツキヨミもそれぞれ太陽と月であって光と関係していて、眼から生まれている。鏡は3種の神器の一つであり、人は眼を通して他人のなかに自分の心を読みとり、人は眼を通して天のなかの太陽に自分の中心すなわち自我をみる。日本国は太陽に日本の最高神を見る。イザナキが黄泉のなかにイザナミすなわち死をみたのは見るなの禁を犯して敢えて見たのであった。アマテラスが岩屋戸に隠ったということはまさに光が闇・黄泉すなわちイザナミ的存在になったということである。これはまさにアマテラスとイザナミの鏡映的あり方を示している。このことから岩屋戸神話でアマテラスを引き出すのに鏡が必要であったのは当然だろう。鏡のなかに自分をみるのは自分を外に投影できていることを意味している。