「清純」

 イザナキノミコトが黄泉の国から立ち戻り、竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊ぎ祓えをする。その最後に3貴神アマテラス、ツキヨミ、スサノヲが生まれる。身体を洗った最後に貴神が出現していることは最高の神々は最高に清らかであることを仄めかしている。この時代から清純が日本人にとり重要な心理であり、古代も現在も日本人が強迫的清潔さを持っていることと関連する。ドイツの美学者ブルーノタウトが日本の芸術の本質は清純とも言っている。日本の神々は清浄を好み、不浄をきらっているし、神社・仏閣には必ずといっていいほど手洗い場がついている。これは日本が水に恵まれ、海に囲まれ、雨が多いと言う気候的特徴からも来るであろう。しかし外国ではあっさり水に流しただけでは日本人の罪は消えないだろう。