「神功皇后」

 第14代仲哀天皇の妃で天皇と共に筑紫に遠征し、仲哀天皇の崩御後住吉の神の託宣に従って新羅に遠征し服属させ、息子応神天皇に位をゆずる伝説上の存在である。日本のこの皇后は夫亡き後も夫の意志を継ぎしっかりと生き子供を育て、父から子への力の継承をスムーズに成り立たせる母として描かれている。このように父がいなくても母はしっかりと子を育て夫の代わりをすることは日本女性の強さが表れており、父がいなくても子を育てられるという父の力のなさも表しているのかもしれない。それどころか仲哀天皇は神功皇后の実家の息長氏によって殺された可能性もあり、女性と実家の結びつきの強さを表している。またこのことは日本女性の実家への依存も表しているのではないか?現在の嫁姑問題はまさに夫の家と妻の家とのある意味闘いを表しており妻の力が強くなりつつあることは妻の実家の影響が強くなっていることを表しているのだろう。