「神託」

 崇神天皇の時疾病がはやり、天皇が悩んでいる時に三輪山のオオモノヌシが自分を祭れば疾病は治まるという神託を出した。天皇はそれを受けて従うと疾病は治まった。仲哀天皇はクマソを討つために九州に出陣したが神が新羅を制服しろといったが、従わなかったのでクマソに殺される。その妻神宮皇后はその言葉に従い男装して新羅を攻めた。政治にあたるものが政策の決定に迷った時、神託・呪術・占術に頼ることは日本史上によくある。普段は神託などには頼っていず、シャーマニズムとは言えないが、重要な決定の時には神託が出現している。
 無限の世界に対して、どんなに優れた人も人である限りすべてを見渡すことは出来ない。それどころか全く分けの分からない状態に近い。人は分かることしか分かっておらず、それ以上は運頼みである。従って指導者自身独断や神頼みというのは当然と言える。独裁者がなんでも見透かしているように振る舞うのは宗教の教祖に非常に近いものがある。人は原不安の状態にあり、何か大きな安心感を求めているが、それが不可能にも拘わらず、頼ってしまう傾向があるということを知っておくべきである。確かなものを理論的には与えられないため、確かなものを与えるかのように主張する人物、組織には頼るひとが大勢出てくるのは当然であり、そういう人間の特徴を知っておかなければならない。