自我と自己と自分

 自我は母親などとの人間関係からおこってくる自分の中心点である。母親が自分の中心に向かって、目を通して、耳を通して、肌を通して働きかけてくる。自分も体の中から母親に向かって働きかけるうちに中心を感じるようになる。しかし父親がたたいたりして皮膚の痛みに注意を向かわせると中心ができにくくまとまりが悪くなる。母親が揺れ動いて定まらないと中心がぼけてくる。自分に対する父親の関心と母親のかかわり方が相当ずれれば自我が一つになりにくい。中心自我と体を含んだものを自己という傾向がある。日常生活において他人と区別するときに自分という。自我といったときには当然そういう中心をふくんだ感覚、感情、経験、体験、記憶さらに言葉という音と深く結びついた自分全体がある。
 落ち着いているときには自分はまろやかでやすらかである。いらいら、もやもや、かりかり、めらめら、むらむらするときには自分がまとまらない、まとめる自分が弱いなどの構造がみられる。