精神疾患と常識

 精神疾患は確かに常識からのずれという一面がある。しかしよく考えるとこの常識は自分の育った家庭の常識であり、学校や地域生活での体験である。自分はそんなにたくさんの人と付き合ってきたわけではないし、一人の人をそこまで深くしっているわけではない。種々の体験を自分なりに処理してきた体験を人は常識として自信を持っている。しかしその体験は限りなく小さいものである。自分の体験では処理できないものをおかしい、常識はずれだ、わけがわからんなどのように切らざるをえない一面がある。しかし本当は自分の体験を超えた出来事ほど自分を深くする可能性があるのである。おかしいという前になんだろう・知ってみようという気持ちが自分を深くし、相手とのコミュニケーションを深める。