「気を強く持て」、「根性出せ」、
   「気のせい」の使われ方の過ち

 周りの人は患者さんに上記のような言葉をよく使う。これは基本的には間違った使われ方をしている。自分は気をしっかり持っている、自分は根性をだせる、気にしないなどと元気な人は思っている。しかしそれはたまたま運がいいからである。自分の体やその遺伝子を自分で決めた人はいない。頭がいいとか悪いとか、足が速いとか遅いとか、反射神経がいいとか悪いとか、音楽が得意とか不得意とかなどなど自分の身体、体力、能力は結構生まれつき与えられている。さらに生後の環境だが両親を自分で選んだ人はいない。逆に両親も子供を選んでいるとはいえない。自分の生まれてくる地域を選んだ人はいない。自分が行く小学校や学校の先生を自分で選んだ人はいないだろう。小学校の友人も出会いである。地域の人とも出会う。このように自分の性格や環境は選んだつもりでもあまり選べていないのである。自分で病気になりたい人はいない。もし自分で選べるのなら決して病気にならないように出会う人、生きる環境、状況を選ぶだろう。したがって病気になるのは人や仕事、家庭などの環境を含む与えられた条件が悪く、条件を改善できるなら誰も病気にならないだろう。
 自分がたまたま運よく元気なのを自分の力、自分の根性、自分の気力で元気だと思っている人はたまたま運がいいのである。神に感謝はしていいが、それを自分の力だと思いあがり病気の人を自分と同じように元気だせとか気力を出せとか根性で頑張れというのは拷問に近い。
 気のせいといってまるでその症状が存在しない言い方をする人もいるが、そう確かに気持ちや心が症状をつくる一面があるのだが、存在しないのではなく心は体のなかに確かに存在していてそれが体の外にあらわれたのが気である。そのため確かに気や心は存在して症状を惹き起こすので単なる気のせいという言い方は間違いである。