「現実検討能力」

 現実・事実という言葉の意味を多くの人は誤解するようなっている。自分が見たり・聞いたりしていることが現実であり、自分が当たり前、当然と思っていることが事実になってしまっている。このような自分の体験・経験そのものが間違って社会的現実・事実と錯覚・誤解されるのは深い意味があるのだが、ここでは体験・経験と現実・事実とは区別しなければならないと言っておこう。実は一人一人見て聞いていることは全く違っており、相手が見ているもの、聞いていることを自分が同じように体験し経験することは絶対出来ないのである。相手の体験・経験は錯覚・誤解するにしても見て聞いて理解するしかないのである。このように人はそれぞれ全く違った体験・経験をしているゆえに相手を理解し、分かるためにはお互いのコミュニケーション・理解・納得・追体験が必須であり、この社会で一緒に生きるための前提になる。すなわち現実・事実とは相互のコミュニケーションを通してしか得られないものである。多くの人は自分の体験・経験が事実であると思いこんでいるのであり、それ故現実を検討する能力とは相手を理解し、相手とのコミュニケーションが出来て、相互に納得する力であるともいえる。