真実、現実、現実検討力

 現実とはそれぞれのひとが見て、聞いて、触れて、嗅ぎ、味わう世界ではない。見て聞く世界それは感覚世界であり、自分の感覚体験である。自分の感覚体験は、他のひとが見ている、聞いている、触れているなどの他のひとの感覚体験と同じか?同じといえる証明はできない。ある何かを見るだけでは、体験するだけではそれが何かをわかったことにはならない。その何かは体験し、知り尽くすことはできない。人は実は一緒にいて、コミュニケーションをして、言葉を使って確かめ合っている。確かめ合うことによってその個人の体験が確実なものであり、現実になる。すなわち自分だけの感覚、自分だけの体験は幻覚に近い。確かめて初めて現実と言える。自分だけの信念・確信は妄想に近い。確かめ合って認めてもらって事実になる。コミュニケーション、確かめ合い、認め合い、人間関係によって初めて現実・事実と言える。それが現実検討力の真の意味である。
 では真実とは現実・事実以上の確かなものではあるが人間には知りえないただ近づくことが出来るだけの何かである。人間の力を超えたものだが、近づくことが出来るものである。