本当に人はわからない

 人が色をどのように見ているのかまったくわからない。たとえば赤いと言って同じものをさして同じ言葉を使ってコミュニケーションは可能になる。しかしどのように見えているのかさっぱりわからない。自分の見え方と同じと判断して大きな問題は起こらない。しかしこのことが感覚・知覚、体験、考え、信念まで広がってしまう。自分の考えは、自分の体験は、自分の信念は人にも当然わかるだろう、同じ人間なので伝わっているはずだとか、逆に相手はこう考えている、こう感じている、こんな意味だと自然に当たり前かのように分かってしまう。ここにコミュニケーションの大きな罠がある。分かるとはどんなことだろう。真の意味では決して分からないが、コミュニケーションという意味では分かったつもりになれることを知っておこう。