「こだわり・強迫について」

 人は清潔、秩序、完璧、納得、安全・安心などをえるために常に注意を払い確かめる傾向がある。しかしそれらはどこまで注意して確認すればよいのかは実は際限・限度がなく、結局自分の安心・納得だけによっているのである。しかし自分の安心・納得だけによっていると本当に安心・納得しきれるのかというと結局は不安になり、納得しきれずに何度も何度も確認せざるを得なくなり、自分でもやりすぎと思っていても確認せざるを得なくなる。こうなると強迫観念・強迫行為という症状になるのだが、これを治すのには症状と反対の態度や構えが必要になる。すなわち安心・納得してはいけないのである。不安や納得できない状態でかつ確認しないで絶え続けることが症状をよくするのである。すなわち不安でも納得しないでも事態は悪くなかった、悪くならなったという事実が患者さんをよくするのである。さらに自分一人の基準ではなく多くの人が安心・納得できる程度を自分の基準にとりいれることが重要である。そのためには人付き合いが欠かせないし、例え自分の基準より低くても人の基準を許すことも大事になる。また人の営みは無限にあるので自分の気にしていることはそのうちのひとつで、そのひとつにこだわれば他のたくさんの大事なことを失うということも知っておかなければならない。自分がこだわっている一つのことがいくら正しくても他の沢山の間違い・不十分さに気付かずある程度で手を打っているわけだからそのことを知れば今気にしている基準を緩めざるをえないはずである。