「禅」

 父久我通親と母藤原基房の3女伊子の間に生まれた道元(中村勘太郎)は小さい時に母親をなくし、生きているときこそ悟りや安らぎが必要と堅く信じるようになる。比叡山で修業し、人間はそのままで仏であるのなら何故修業が必要なのかその答えを求めて中国への旅に出る。途中阿育王山の老典座に会い何かを感じる。中国の仏教も役人への賄賂などで乱れており、悩んでいるときに偶然夢破れて亡くなった公暁そっくりの寂円(テイ龍進)に出会い天竜山を勧められ、天竜山の如浄禅師のもとで修行し、ある時老典座の言った「何をしていても修行である」の意味も悟り、仏祖正伝菩薩戒を受ける。帰国した道元は建仁寺に身をよせて「普勧座禅儀」を執筆する。ひたすら弁道に精進し、只管打座を続ける道元を慕う弟子が集まってくる。俊了(高良健吾)、懐奘(村上淳)、寂円らとともに活動する。宗派を否定した道元の教えは比叡山から邪宗の烙印をおされ圧迫されるが六波羅探題の波多野義重(勝村政信)に救われ深草の安養院に身を寄せ興聖寺を建てる。遊女おりん(内田有紀)も乳飲み子と怠惰な夫松蔵(哀川翔)を養い、乳のみ子を失って絶望的になっていたときに身内を亡くしていない家を探せば救われると言う道元の言葉によって身内に死のない家はないと分かっておりんの心は救われる。やがて道元の隆盛を妬む叡山の僧兵によって興聖寺が焼かれ越前志比庄に移り大仏寺(後の永平寺)を建ておりんも弟子になる。
 門弟の指導にはげんでいた道元のもとに義重がやってきて、執権時頼(藤原達也)がこれまで流した血による怨霊に苦しめられているどうしたらよいものかという相談を持ちかけてきた。道元は寂円とともに義重の今までの恩に報いるため必死の覚悟で鎌倉の時頼のもとに伺う。時頼から正伝の仏法とはどのようなものだと聞かれ、この池の月が切れますかと問うた。時頼は太刀を抜き切ろうとしたが切れない。道元は「この月が切っても切っても元の月であるように怨霊の苦しみはあなたのものだから受け入れなければならない。己をすて煩悩を解き放ち無になるのです。」と答える。道元と寂円は静かに座禅し、時頼も従う。やがて雪深い永平寺で座禅しながら道元は生涯を終える。
 精神科に来られる人は症状を治しにこられるが、実は症状をなくそうとすればするほど症状が強くなる傾向がある。症状を受け入れた途端に相当症状が軽くなることも多い。