「クライマーズ・ハイ」

 1985年の終戦記念日を3日後に控え、中曽根首相の靖国神社参拝問題が新聞種になっていた。そのころ群馬県の有力紙・北関東新聞の記者悠木和雄(堤真一)は谷川岳衝立岩登頂の準備をすすめていた。販売局の同僚で親友の安西耿一郎(高島政宏)に誘われ、「普段冷静な悠ちゃんみたいのがガンガン登って恐怖感が麻痺してしまうんだよ」といわれた。
 丁度悠木が山登りに出発しようとしたころ、県警キャップ(県警担当)の佐山達也(堺雅人)が寄ってきてジャンボが消えたことを伝える。その直後通信局のニュースが「東京発大阪行き日航123便がレーダーから姿を消しました。長野・群馬の県境に墜落した模様。乗員・乗客は524人」と伝える。単独の交通事故としては世界最大であり、北関東新聞編集局は興奮の坩堝と化した。この未曾有の事故の全権デスクは社長白河頼三(山崎努)の鶴の一声で悠木に決まった。頭と心を麻痺させる事故の凄惨さ。疲労と高揚を繰り返す神経。事故現場に行かせてくれ(記者から)、広告を何故おとした?(営業から)、あなたが好きなのは新聞だけでしょう(妻から)、チェック・ダブルチェック(自分の信念)などなど悠木の頭は激務で混乱しそうであった。そんな折り一人で衝立岩に挑んだと思っていた安西がくも膜下出血で意識不明の重体であることが知らされる。激務の合間に見舞った安西の妻のすべてを受け入れる姿と息子の気丈な姿があった。安西の息子と別れて暮らす自分の息子は同い年であった。
 モラルや真実、新聞の使命など疑問満開のなか、事故のスクープ合戦で中央紙と争い続けた記者達の一人が必死の思いで書いた原稿を締め切り時間の関係で没にされたことで精神的にダメージを受けて、身体の疲労も加わって自動車事故でなくなってしまう。締め切り時間の短縮を伝えなかった社会部部長等々力庸平(遠藤憲一)と感情的にぶつかり続ける。さらに飛行機の事故の真相にせまるスクープすなわち金属疲労による隔壁破壊という情報をいち早く手にした情報の精確度をたかめるために結局スクープを中止してしまう。結局それは他社にスクープさらわれてしまい悠木のプライドはくずれ、社長からぼろくそに言われた結果会社に辞表を出した。
 それから20数年たった今、安西の息子と衝立岩に登り、崖から落ちて危ない目にあった悠木を救ったのは以前に安西の息子と一緒にきていた悠木の息子が打ち付けてあった釘であった。山からおりた悠木はニュージランドにいる息子に会いに行く決心をしたのである。
 500人の命を失った事故を前にしてクライマーズハイのようになって人は自分の人生をかけることもある。