「明日への遺言」

 元東海軍司令官・岡田資中将(藤田まこと)はB級戦犯としてスガモ・プリズンに拘留されていた。連合国により横浜地方裁判所でラップ裁判委員長(リチャード・ニール)、バーネット主任検察官(フレッド・マックィーン)、フェザーストーン主任弁護人(ロバート・レッサー)からなる法廷で岡田中将は戦争犯罪の罪を裁かれてもいた。岡田とその部下の罪とされたことは38名の米軍搭乗員に対して正式の審理をせずに処刑をおこなったことであった。
 検察側は略式手続きは不当で岡田中将の行為は殺人であると主張した。弁護側は処刑された搭乗員はジュネーヴ条約による捕虜ではなく、無差別攻撃を行った戦争犯罪人だと主張した。
 岡田中将は無差別爆撃は違法であり、略式手続きによる処刑はさけられなかった。責任は司令官の私にあると主張した。岡田は若い時から日蓮宗を信仰しており自分の死刑が予想される状況でも自信に満ちた態度と部下思いの態度、家族への愛情や連合国側の人間に対しても真摯な対応をつらぬきこの人間のすごさ、生き方の立派さを後生に示した。
 フェザーストーンは勿論のことラップもバーネットも岡田中将を尊敬するようになった。勝者アメリカに対してこの裁判を法戦として捕らえて勝者が敗者を裁く矛盾を示した。妻温子(富司純子)とその家族が裁判で見せた人間的な態度が岡田中将を支えていたことは充分想像された。スガモでの暮らしのなかで部下達が岡田中将の指示に従い、岡田中将を慕ったのは当然であろう。
 こうして岡田中将は死んでいった。人は死ぬときにどんな態度をとるかがその人の深さ、その人の立派さを真に示すのだろう。