「笑いの大学」

 時は昭和15年、警察庁保安課の検察官・向坂睦男(役所公司)は芝居の台本を時勢柄、厳しく校閲する。彼自身は満州事変、支那事変など戦争が拡大していく中、「芝居などなくてもよい」「笑いなど必要がない」と考える硬骨漢であった。
 そこに劇団笑いの大学の座付き作家・椿一(稲垣吾郎)が自分で書いた芝居の検閲を受けに来る。
 向坂はこの台本は話にならない。場所の設定は外国だし、登場人物も外国人であるとかいって、始めから喜劇を否定し許可する気はさらさらなかった。しかし椿はどうしても上演を認めて貰おうとし検閲官の指示に従いながらも、台本を前よりも一層面白くする努力を必死でするのである。お国のためという言葉を入れよとか、登場人物に警察官を入れよとか難癖を付けられながらも椿は台本を一層面白くしていくのである。冗談も考えたことのない堅物の向坂は、椿の台本に対する真面目な姿勢に加えてだんだん面白くなる台本に感動し、ふたりは一緒になって夢中でこの喜劇の台本を面白くしていくのである。検閲中出てきたお国のためをお肉のためと言い換えたり、チャーチルやヒトラーに寿司をにぎらせたり、こりゃまた失敬がさるまた失敬と言うことなど言葉を言い換えることで笑わせたり、芝居の中で好きなもの同志が接吻をするのをなんども邪魔をされることによって観客を笑わせられることを向坂は学んだのである。椿は検閲最後の日に最高の傑作を作り上げ向坂にみせた。
 向坂は今までにない最高の面白さだと認めた。しかし椿はこのとき赤紙(召集令状)を貰っており戦地に行かなければならなかったので検閲の必要はなくなったというのである。最後に向坂はこんな面白い芝居は必ず上演しなければならないので椿に生きて帰ってこいと告げる。
 面白いという言葉は記紀ではアマテラスが岩屋戸から出てきたときに笑い・踊り・騒いでいる神々の顔を照らし面を白くしたという話からでている。一般的に笑いは失敗しそうもない、変わったことが起こりそうもない人物や出来事がちょっとしたことで失敗したり、変わったことがおこってしまったときに、それを見ているものが優越感を感じて起こる。戦争中にしろ、大不況中にしろ厳しい世の中でも笑いをもてる精神状態は人々に心身ともかなりよい影響を与えるだろう。