山科 御陵 (みささぎ)

 この墓は天智天皇の墓で、都が近江にあったことから距離的には頷ける。また近くには中臣遺跡があり弥生時代、古墳後期に栄えたらしい。従って中臣鎌足が天智天皇にこの地に御陵を造るよう進言したのだろう。御陵は小高い丘の上にあり、上の方には琵琶湖疏水が流れている。天智天皇がなくなった後、大海皇子と大友皇子の争い壬申の乱がおこり、正式の葬儀がなかったと思われ「天智天皇が山階郷に行ったとき、山林に入ってどこで亡くなったかわからないので沓のあったところを陵にした」という噂話がなされたらしい。
 この御陵は上八角下方墳という珍しい形をしている。