血天井

 関ヶ原の戦いの直前、徳川家康は会津の上杉景勝討伐のため、鳥居元忠以下1800名に伏見城を守らせていた。すると隙を狙っていた石田三成の軍勢が伏見城を攻撃し鳥居元忠とその部下は遂に力尽き、落城の際に鳥居元忠ら380名以上が自刃した。鳥居元忠達の遺骸は約2ヶ月もの間、伏見城に放置され、その血痕や顔や鎧のあとが縁側の板に染み付き、いくら拭いても洗っても落ちなくなった。そこで、縁側からその板を外し、足で踏む床板にしては供養にならないからと、天井にして手厚く供養しているものがいわゆる血天井として今も残っているのである。
 この血天井は鷹ケ峰の源光庵、三十三軒堂近くの養源院、西賀茂の正伝寺、大原の宝泉院、宇治の興聖寺などにある。